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執筆者の写真Ayako

迷った時は原点回帰


10月の最終日。

会社の人に家まで送ってもらった。

わたしの旅好きはどこからきたのか前々から気になっていたようで、道中そんな話で盛り上がった。

そもそもどうして今の自分があるのだろうと考えるとたくさんの理由がある。

その中でも唯一、一つだけ挙げるとすれば、それはやはり中学生の時に行った中国での経験だろう。

わたしが住んでいる市が姉妹都市を結んでいる上海周辺にある都市を1週間かけて旅をする。途中二泊三日のホームステイがあり、他は観光巡りというプラン。

市が主催なので参加費は無料。必要なのは“お土産”代だけ。募集対象者はその市に住んでいる中学2年生12人。

聞いた瞬間迷うことなく行きたいと思った。応募するためにすぐさま中国に行きたい理由をつらつらと書いた。今思えばどう考えても全く関係がない“万里の長城に行ってみたいです”という作文で行けることになった。訪れる場所は上海周辺。全然関係がない内容だったのに選んでくれた先生方には感謝しかないなぁと思う。


あの時の経験で一番身にしみて感じたことは“百聞は一見にしかず”だった。

それまで想像していた中国とも中国人とも違う。実際に見なければ、わからないことがたくさんあると思ったと同時に、一度実際に見るだけで、自分の知識や視野は勝手に広がり、深くなるのだと知った。

これまで、その考え方がぶれることはあったけれど、

この考え方は自分の色々なことに繋がっていった。

日常で言えば些細な噂話。

最近だったらネットで話題になったこと。

本に書かれていることも、大好きな誰かから聞いたことだって

一度は必ず自分に聞いた。

“それって本当かな?”

疑い深くなりたいわけでは決してない。

だからと言って、何もかも鵜のみにするのはやはり恐ろしい。

昔ある芸能人がネットの記事でバッシングされていた。

先日出版された本の中の一行を引用し、〇〇さんはこんなことを言っている!

というようなとっても批判的な内容だった。

たまたまその本を一冊読み終えたところだったわたしはビックリ…

この1行だけを引用してそんな風に書かれてしまうの?

この前後を読めばそんな意図でないことなんて、誰が読んでもわかりそうなものなのに…

けれど実際拡散する力があるのは明らかにネットだろう。

だれかがそのURLをコピーし、どこかのSNSでシェアすれば瞬く間に情報は拡散する。

記事の一部分をコピーして何かに書けば、それも簡単に拡散することができる。

けれど実際のもとになっている本を読む人はどれくらいいるだろう。

ましてやそれが本当かどうか調べる人はどれ程いるだろうか。

読んで、さほど気にしない人ももちろんいるだろうし、半分聞き流すくらいの感じで読む人だっているだろう。

けれど残念なことに信じる人だっているし、信じる人が悪いかというと決してそうだとは言い切れない部分がある。だからこそやっぱり何事も自分で確認して確信を得ていくしか方法はないと思うんだ。


けれどこれは日常のほんの些細なことでも起こりうる。

友達がこう言ったとか言わないとか。

誰かから誰かに伝える時点で情報はどんどん変わっていく。

悪気がなくとも変わっていくが、悪意があったり、脚色する人だったら?

これが色んな方向から聞こえてくることがある。

それが近い間柄ならなおさらわからなくなるだろう。

Bさんは、『Aは〇〇だ』と言っても、

Cさんは、『Aは✖✖だ』と言ったりする。

どっちが本当?

それともどっちも嘘?

最近本当にこういうことが多すぎて、おそらく5年前のわたしならばパンクしそうになっただろう。

それは白黒つけないと落ち着かなかったからだ。

どれが真実でどれが嘘かはっきりさせないとすっきりしなかったから。

けれど今ならわかる。

すべて白黒つけられるわけでもないと。

人というのは感情が入るから、たとえ同じような意見を言っていたって少しニュアンスが変わるだけでまったく別物のように聞こえることがある。

そうだ。だから自分の目で、耳で、確かめるしかないんだ。

そして、確かめようがないことはひとまず置いておいたらいいんだ。

それはどのくらい先になるのかはわからない。

だけどどこかで必ず答えが出てくるだろうから。

誰しも自分の中に無意識であろうと何かしらのバロメーターがあると思う。

迷ったときは原点回帰だ。

何事に対しても。


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