砂丘の第一印象は“思っていたよりも狭い!?”だった。
砂丘の奥に町が見えてしまうのがその大きな理由の一つだった。
その光景は先の予測できない大自然を想像していたわたしにとって小さく映ってしまったのだ。
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けれど砂丘を自分の足でまわったときは感想が180度変わった。 バギーで簡単に行けた丘から見た景色は狭く感じたのに、太陽がまだまだ照り付ける中、一人でこの砂の上を歩いていると、昨日狭く感じた自分を恥じてしまうほど広く感じたのだ。
足はしょっちゅう砂にとられてこけそうになる。 強風で砂が舞うから前も見づらい。 歩いても歩いても景色が変わっているように見えない。そしてだんだん方向感覚がおかしくなる…
自分がたった今10分ほど歩いてきた道を振り返る。果たして10分で戻れるだろうか…そんな風に思うほどの遠い道のりが待っている。
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よく悩んでいる人が大自然を前にして“人間の悩みなんてちっぽけだ”なんて言ったりする。
けれどわたしは全くそうは思わない。 誰かや何かと比べたら小さく見えるものでも本人からしたらとても大切で深刻だったりするからだ。
これを乗り越えたら強くなれるよ。 そんな風に言われたとしても、もし悩みのど真ん中だったら励ましてくれる気持ちは嬉しいだろうけど、あなたに何がわかるの?なんて言ってしまいそうだ。 けれどそんな風に思うわたしだっておそらく似たようなことを他人に言ってしまった過去があるかもしれない。それほど自分の中にあるものと人が抱えているものはなかなか見えにくく想像しがたいからだろう。
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自分の目の前に広がっている砂丘。 昨日の自分から見た世界と今目の前にある世界がこんなにも違って見えるなんて。 自然に対する畏怖の気持ちが湧いてくるのはこんなときだ。 自然がだたそこにあるだけで偉大と感じること。
夢を実現していたり好きなことを毎瞬エンジョイしていたり、そういった存在がまぶしく感じることがある。ありのままとかあなたはそのままでいいとか、そういうタイトルがこそばゆく感じたり。
でも、例えば砂丘でタイヤのあとがとても不自然にうつるように。 風でできた風紋がとても美しく感じるように。 それは一生残るものではなく変わっていくけれど、変化していくその姿さえやっぱり美しい。
そこにあるだけでただただ美しいこと。
自然を前にするといつも忘れがちなことを思いだす。
ただただ存在しているだけで素晴らしいんだ。
人間だって存在しているだけですごいことなんだな。 いつも日常では忘れがちなことを思い出した。
自然も人間もあんまり手を加えすぎるとバランスがおかしくなる。 それぞれ生きている以上したいことも違うし、目的も夢もやりたいことも趣味も挙げたらきりがない程人の数だけ存在する。今の世界が存在するのは、人間の進化したい気持ちがあったからだろう。
でも改めて思う。 人間だって自然だってやっぱり手を加えすぎると不自然だ。 砂丘を前にし、自然に対しても、人間関係においてもお互いもっともっと尊重しあって、飾らないままいられたら、この世界はもっと美しくなるんじゃないかと思った。
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