『一期一会』昔からこの言葉が好きだ。
人との出会いは出会った時点で何かしらの変化が生まれる気がする。特に一人で旅をしだしてからはこの言葉がとても身に染みて感じるようになった。
コミュニケーションという言葉にうっときてしまうほど、誰かと仲良くなったり意識して話したりするのは昔から苦手だった。 けれど、なぜか昔から旅に出るたびに“誰とでも仲良くなれそうですね。誰とでも人見知りせず話せるなんて羨ましいです…”なんて言われるものだから、本人としてはそのたびに否定し、
“いや、そんなわけでもないんですが…” と、とまどうばかりであった。
わたしからすれば、そんな風に言ってくれるその人自身が話しやすいだけで、わたし自身がそうかと言えば、やはりそうとは言えないとはっきりと確信を持っていた。
今回のベトナムの第一印象は、失礼を承知で言うがゴミの多さだったので、正直言って印象があまり良くなかった。必死におもしろいポイントを探してみたものの原付の不思議や久しぶりのアジア感にわくわくした以上の面白さをなかなか見つけられなかった。
けれどこういう時、変化をもたらしてくれるのはやはり人との出会いだ。 一度目のツアーでは砂丘へ着いたときに現地に住んでいる日本人に出会った。 普段コミュニケーションを取るのは苦手意識があるのに、旅の途中はなぜかそんなことも忘れ簡単に打ち解けることができる。
朝日が見れなかったこの日、いつもだったら残念な思いを引きずりそうなものの、気にせず楽しく過ごすことができたのはまさしくこの出会いがあったからだろう。
一人旅をしているもの同士の気楽さがありますね。
そんなことも遠慮なく言える。普段だったら少しためらいそうなこともさらっと言えてしまう。
旅をしているときはその人の素の部分がお互いに見えやすいのだろうか。
普段何気なく背負っているもの、抱えている重さや被っている仮面のようなものを何気なく脱いでしまっているのが旅をしている状態なのかもしれない。
慣れていると特段困らない一人での食事も誰かとシェアし、一緒に食べるほうがやっぱり楽しいし美味しく感じるものだ。
そういえばベトナムは日本人が多く旅しているイメージだがムイネーは違った。 両替もほとんどがドルで行われ日本円でできるところはわずかしかない。 カフェで知り合った人にも日本人はあまり来ないよと言われ、レストランでは毎度どこの国から来たの?と聞かれた。
そんな中、たまたま見つけたカフェが気に入り二日連続で行ったところ、お店の方に話しかけられた。
“昨日も来ていたよね?日本人?”
初めて来たとき、別の店員さんと話をしていたからか、覚えていたらしい。
旅の途中とは言え、英語で話しかけられるとなんとなく緊張してしまう。
そうです、と答えた瞬間とても流ちょうな日本語を話し出した。聞けば幼少から日本に住んでいたという。ここまで流ちょうに話す人はテレビに出ている人くらいしかみたことがなかったので、とても驚いた。
“どうしてムイネーに住んでいるのですか??”
ベトナムのたまたま見つけたカフェで日本語を普通に話す店員さん。
人の人生って本を読むより面白いと思う。互いの人生を語り合うなんて、よほど仲良くならないかぎり普段はありえないかもしれない。
この日しか会わないかもしれない、今だけのつながりだと思えばあまり普段話さないこともペラペラと話せるから不思議になる。いつもよりもオープンな自分にびっくりしながら、相手も心を開いてくれているように感じるのも旅の解放感のせいだろうか。
そして、毎度旅先で出会う人と話すたびに思う。
こうして自分が抱えている悩みや考え事を、ふっと取り払ってくれる瞬間は案外こんな時なんだと。
日常では抱えきれないと思いがちなもの。
人それぞれ、どこに住んでいても、何をしていても大なり小なり何かしら抱えて生きていて、それでも日々それぞれの生き方で進んでいっているんだと。
普段と違う体験をし、普段とは違う人と出会い、普段と違うものの見え方ができる。
たとえ一時の出会いだったとしても、
自分のその後の生き方に影響を与えてしまうほど人との出会いは数奇だ。
だからこそ毎度『一期一会』だと実感するのだろう。
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