昔から「最後は神頼みだよね」なんて、半分冗談、半分本気で思っていました。
そんな風に思う時、ジュリア・ロバーツ主演の「食べて 祈って 恋をして」という映画が印象的だったことを思い出します。その映画には今まで祈ったことのない主人公が思わず神様に祈るシーンがあるからです。
人はどうしようもなく途方に暮れた時、
宗教に属しているかどうか、信心深いかどうかに関わらず、祈る生き物なのかと思いました。
一昨年の年末に祈りについて知りました。
なんとなく自分なりに神様にお願いごとをしてみました。
楽しく仕事がしたいとか、恋人が欲しいとか、お金が欲しいとか、ごく一般的なそんなことです。
でも、全くしっくりとはきませんでした。
しっくりこないことが叶うはずもなく、祈ると願うの違いについて考えたりもしました。
あれから、自分が本当に望んでいることを知りたい、そういうふうに生きていきたいと具体的なことは考えずにそう思うようになりました。
そうした時、いろんなことが変わり始めました。
私は神様がいるかどうか?ということを考える時、遠藤周作の小説「沈黙」を思い出します。
なぜなら、その本もそんな問いを投げかけているように見えるからです。
神様がいるかどうかはわかりません。
でも、自分の本音の部分で進みたい道に乗れたとき、不思議な力が手を貸してくれる。それはきっと真実ではないかと思います。
だからこそ理不尽に思えることも怒りを覚えることにも冷静に多面的に見てみる。そうすることで何か見えてくるものがあるんじゃないかと思うのです。
私は小さい時からどうしてか宗教の勧誘ばかり受けるタイプで昔はそれに悩まされた時期もありました。
そういうこともあって、そういった勧誘に疲れてしまった経験から特定の宗教に属する予定は今後もありませんが、でも普通では到底説明できないような幸運や気づきに恵まれたとき、周りへの感謝と共に神様への感謝をせずにはいられません。
そして、どんな時も地に足をつけて歩いて行くことは忘れず、けれどそれだけでは得られない恩恵にも感謝するような生き方をしていきたいです。
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