精神的自由を求めてた頃は
とにかく自由がほしくてあちこち動き回った。
どこかで自由な場所が見つかると信じていたのかもしれない。
飛行機や長距離バス、夜行列車に揺られながら、いつも頭のどこかで自由ってなんだろう。どうやったらなれるんだろうと思った。
数年前働いていた会社の方に、きっと大切な人ができたらそういう風にずっと旅したくなくなると思うよ、と笑顔で言われた。
その言葉がずっと心の中にあって、こういう風に思う言葉は私の何かのヒントになるだろうとずっとその言葉を温めていた。
あれから何年かが過ぎ、私が求めていたものは精神的自由で、決して移動を重ねたら得られるものではないことがわかった。会社で働くことも遊ぶことも、お金やルールにさえ左右されないことがわかった。どんな物理的なものであってもそれがわかれば、遮られることは決してないのだと。
人は例えルールの下で生きていても自由でいられる。精神的な自由は自分がどういたいかを知り、それを常にアップデートさせて、自分で意識していくことでそういう風に生きられるからだ。
それを知ったとき、誰か大切な人がいたとき、自分の心地いい状態に戻せなくなったり、心が揺さぶられたり平常心ではいられなくなることがあるかもしれないと思った。
けれど精神的な自由がどんなものかを知っていれば、
その不自由さは自由にもまさる愛おしいものに変わる気がした。
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