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執筆者の写真Ayako

晴れた日に思うこと

先日読んだある本にこんなことが書かれていた。




「時間というのは、今にしか存在しない」




今まで何度も見てきたけれど、どうしても自分の中で腑に落ちなかった。




けれど今年一年のことを振り返ったとき、その言葉の意味をやっと理解できた気がした。





私は毎日手帳に予定と日記を書いている。

昔は日記帳と分けていたけれど、ここ数年同じ手帳に書くようになり、普段持ち歩いているB5くらいのノートには気が向いたら思ったことを綴っていた。




そんなノート達の数は今年は圧倒的に多く、手帳を見直していても考えていたことが今とまるで違ったり、異常に暗かったり、誰がどう見ても地下のトンネルのど真ん中から動けないようなそんな印象を受けた。




他人ではなく自分のことなのに、この暗さは一体…

そう思うほど、言葉も文も焦りが見え、とにかくしんどい、しんどい、しんどい…

けれど、何をしても解決できない。

そんな暗さと重さとで正直自分でも文章を見たくない程だった。




けれど、その原因は過去のよかったことや後悔したことを考えすぎたり、現実からあまりにもかけ離れた理想の未来を思い描いていたからではないかと思う。




今を生きているのに、

いつも考えるのは過去に起きたいいことや後悔したことばかり。

過去に何かいいヒントが隠れていないか必死に思い出そうとしたり。

そうかと思えば、それではいけないと理想の未来をかなり遠いところに描く。

もしも私が今の自分のことをよくわかりながら

過去に思いを巡らし、未来の自分へ向かってがんばろうと思えたのならよかったのかもしれない。けれど、今の自分を受け入れられないままの私は、何もかもが宙ぶらりんだった。






今年気づいた大きなことの一つは

どれだけ停滞しているように感じても、どれだけなかなか物事が進まないと思っていても行動することでしか腑に落ちないということだった。




動いた結果、何も変わらなくても、それでもそのほうが納得できる。

動かずにただ見ているだけ、インプットして頭に入れているだけ…という状態は、忍耐の時間でもあり必要ではある。けれどそれだけでは、腑に落ちず、両方あってはじめて納得できる自分がいた。




今年は珍しく雨だった北海道の旅を含め、来てよかったのかな…と思うような旅や遠出もしたけれど、どれも今思えば必要なことばかりだった。




本来の自分に帰るには行動でしか理解できない。

そんな風に思ったことは本当によかったと思う。

色々思うことはあるけれど、腐らず諦めず。

辛抱強く待ちながら行動は続けていくこと。




そして、それがあったおかげで自分が過去に縛られたりキラキラした未来をやたらと思い描いては理想と現実のギャップ、今の自分と憧れの間に途方もない距離を感じていたのだと気づいた。





時間というのは今しかない。

一年を通してこの言葉の意味がやっと腑に落ちた。

今しかない、本当に。




過去があって今だし、今の延長線が未来。




調子が悪い時に思い出すといいのは、今を大切にすること。

そして本来の自分を大切にすること。




普段の自分だったらありえない、自分のルールからかけ離れている自分がいるときは、

どこかおかしい。と疑ったらいいのかもしれない。

それは、自分の指針となるものだろうから。




晴れた日には空を見上げてうれしくなったり

外にでかけてお茶したくなったり

空を見るだけでも今の自分を知ることができる。




大みそかに空を見上げてそんなことを思った。



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