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執筆者の写真Ayako

ホーチミンの市場で思ったこと。


アジアを旅するのは久しぶりだった。

けれど、いざ振り返ると実際に旅した数はそれほど多くはない。それなのにどうしてだかこのアジアという感覚は自分の中に存在していて、ホーチミンの市場にたどり着いたときも、“アジアだなあ”なんて心の中で思っている自分がいた。


このなんとなく感じる感覚というのはとっても不思議なものだ。 ある時は一番信用できるものであり、ある時はやっかいに働くこともある。

あてもなく歩くことは毎度のことではあるけれど、スコールの中雨宿りを繰り返しながら進むのは意外にも初めてだった。晴れていることが多いわたしの旅の中で、雨の記憶はとても残りやすい。原付観察もそのうちの一つだから、より一層感覚として今後も残っていくだろう。


かわいいお店よりもベトナムっぽさを感じられる場所に行きたい。 たどり着いたのは、“ベンタン市場”だった。

…と思う。

というのもここにはたまたまたどり着いただけ。

だから、正直言って、本当にそうだったか全く自信がない。今から地図を見てなんとなくたどった道を確認することはできるけれど…

それをしたところでやはり確信を持てるわけでもなく。一人でいると確認する相手もいないからそんなことにはもう慣れてしまった。ブログを書くようになってからは場所を調べる癖もついてきたけれど、ガイドブックに書いてある場所のどこに行ったかどうか。そんな回数を数えるのも名前を覚えるのもどんどん興味がなくなっているわたしは、その場で調べることさえめんどうに感じてしまうことがある。

市場に入る前、一番はじめに目に留まったのは入り口付近にあるお花屋さんだった。お祝い用だと思われるカラフルで立派なお花が置かれていた。少し日本とは違うけれど、とてもよく似ていた。この市場でもそうだったし、翌日も多く見かけた。そしてこんな大きいのに原付で運んでいる人もやはりいた。






数時間のホーチミン滞在でフランスの名残りみたいなものは、建物を含めほとんど感じられなかったが、このお花は関係しているのだろうか。わたしの視点からするとどちらかというと洋風に感じ、あまりアジア感はない気がしたからだ。

市場の中はほとんどがお土産屋さん。一歩中に入ると店員さん以外は外国人観光客であふれていた。 以前、大学のゼミで「お土産とは?」という議題で話し合ったことがある。詳しいことは覚えていないが、お土産自体がその国自身の文化を表しているか?というと決してそういうわけではない、というような…確かそんな結論に至った記憶がある。実際、京都のお土産を見ても、「お土産として」「日本っぽく」「京都っぽく」作られたものは多くあるが、それが実際の日本の伝統や文化と直結しているかというと、案外そうでもない。

そんな視点で見ていると、やはりここでも一見ベトナムやホーチミンと言った文字が並んでいるものも、物自体から感じられるベトナムらしさみたいなものはあまりよくわからなかった。アジアを旅していると似たようなものを多く見かける。それにわざわざそんなくくりにしなくとも、お土産物自体に個性があまり感じられないことも多くある。


それでもベトナムで買い物したいと思ったのはその物価だろう。価格の安さはやはりわたしの物欲をくすぐった。

結局、それなりに値引き交渉をしたり、日本人慣れした人とお話をするようなことがありながらも数点だけ購入し、この場所をあとにした。



夜の道を一人で歩くのは毎度少し緊張するけれど

空を見上げて見えた月がなんだか見守ってくれている気がして

少し安心した。

アジアのお土産に共通点が見えたりアジアの雰囲気をなんとなく感じ取れたり。

異国を旅しながらも結局は毎度何かしらの安心材料みたいなものを求めているのかもしれない。

日本でも月は同じように見えているんだろうなあと

ぼんやり考えながらそんな風に思った。


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