“聖ヨハネ騎士団”
マルタ騎士団とも呼ばれる聖ヨハネ騎士団はマルタの情報を集めるたびに目にした言葉だ。 騎士団、海賊、高い城壁… どれもマルタの歴史を語るうえで欠かせない要素だと思う。
ヨーロッパの歴史にかなり鈍いわたしはそういった細かい歴史のことは知らずしてマルタへ行ったし、観光をした。
そんな疎い状態ですら度々目にするということは、今もなおあらゆるところでその痕跡が残っているということだろう。
マルタではたくさん訪れたい場所があったが、その中でも絶対行きたかった場所がスリーシティーズのうちの一つ、ヴィットリオーザだった。
“ロードス島を追われた騎士団がヴァレッタに先駆けて、1530年に礎を築いたのがここスリー・シティーズ。天然の城塞と呼べる複雑な地形を利用し、岬の突端に砦を築き、さらに海に面したすべてを城壁で固め、ヴィットリオーザとセングレアの岬の突端を鎖でつないで敵の侵入を拒んだのだった。” ---- 地球の歩き方 南イタリアとマルタ ダイアモンド社より引用
マルタ二日目のゴゾ島で大きな城壁に感動したわたしは引き続き城塞都市を見たくなった。 観光地としては人気がある場所とは言えないが、船がたくさん停泊している港は雰囲気そのものが良く、マルタが海で囲まれている島だということがよくわかる。昔のこととは言え、海賊の襲撃にあうことは安易に想像できた。








目の前に広がる海にはヨットや海外からと思われるおしゃれな船が並び、まさにヨットハーバーと言わんばかりの美しい、高級なイメージを持った。しかし、海の目の前には海事博物館があり、その前にはたくさんの大砲が飾られていた。そこへは時間がなく行けなかったので、それがレプリカなのか、それとも本物を保管しているのか定かではないが、当時の雰囲気はどういうものだったのだろうと思わず想像してしまった。


台風が過ぎ去った後の不思議な色をした空は、なんだか恐ろしく感じることがある。旅行者のわたしにとってこの日の晴天はラッキーとしか言いようがなかった。けれど当時はただ明るいだけの空も時には悲しくうつるほど切ないものだったのではないかと思った。
休憩もかねて入ったお店でリゾットを食べた。海を眺めながらの食事はとても美味しく、下調べなんてしなくても、十分美味しいものが食べられると感じた。マルタではたくさんのレストランに入ったわけではないが、おしゃれなお店を度々見かけた。ここで食事に困らなかったのは英語が当たり前のように通じることが挙げられると思う。メニューを見ても、知っている洋食の名前が並んでいる。
たまに見かけた屋台のようなお店には結局入らなかったけれど、マルタの人々はみんな温厚で親切だったし、ここ数年観光地としての人気が上昇しているという話が嘘と思えるほど、心地よい空間だったので、おそらくそこでも簡単に買えたのではないかと思った。
暑さに負けて、食べるよりも飲む方に注意が行きがちだったし、食事のボリュームが多かったことも要因ではあったが、あともう一人いればもっとたくさん色んなものを食べられたのになと思った。




一時期まで閉館していた聖アンジェロ砦は行ってみると開いていた。 知らずにぐるぐる回っていると係員の方に注意され、そこがすでに館内であることを知った。とても広く、興味があったわたしたちは中に入ることにしたが、これが想像以上に良かったのだ。






聖アンジェロ砦は海の眺めが特別だった。
中に入ると一気に重工な砦が広がっており、建物の幅はとても広く、海を眺めるだけの観光地としてはやはり不自然だ。日本でも戦国時代に建設されたお城の周りにいくつもの銃用の窓が開いたりしているが、そういう構造はとても似ていて、おそらくここで監視していたのかな?とかここから大砲で撃ったのかな?とか、そんな情景が目に浮かんできた。





とは言え、この現代においてはやはり海を眺める最高のロケーションだと思う。
もちろん歴史を知りたい人にも絶好の場所ではあるが、対岸には美しいマルタの街並みも見ることができる。






ほとんど人がいないこの街を母と二人で歩きながら、いろんな気持ちを感じたのだった。