マルタで苦戦したことの一つがバス。 常にどこかで見かけるほどバスの数も路線も多いわりにきちんとした案内図がない。もしかしたらどこかにあったのかもしれないけれど、少なくともわたしたちは見つけられなかった。
日本人からの視点かもしれないけれど、中途半端に要所だけ書かれているものはあったが、全ての地名がわかるわけではないし、乗るバスの番号もわからない。ガイドブックに書かれてあるバスがタイミングよく来るわけでもないから、バスには正直とまどった。
迷っていても仕方がないのでバスの運転手さんに聞くことにする。マルタの方々はマルタ語を話すらしいが、ほとんどの方が英語も喋れるらしい。マルタではびっくりするほどコミュニケーションに困ることがなかった。
マルタに着いてから四日目。青の洞門に行きたかったわたしたちはまたもやどのバスに乗れば良いかわからなかった。けれど、なんとなく“このバスかな?方向はあっているよね?”と、ほとんど直感でバスに乗ってみた。うまく乗り継ぎできるのか心配もあったが、このまま待っていてはかなり時間がおしてしまう。
思い切って乗ってみると、順調にバスは青の洞門方面へ向かった。 しかし、バスは思ったよりも早く停車。バスに乗っている人たちの目的地も一緒だったらしい。
“青の洞門へはどうやっていくの?” 乗客とバスの運転手の会話を隣で聞くことにする。 “ここを歩いていけば15分で着くよ!”
“歩いて行けるなら行ってみる?” 私と母は歩いて向かうことにした。 はじめての土地で方向感覚を掴むのは難しい。Googleマップを使えは簡単だろうけどそういう旅は今の所していない。
マルタの天気はカラッと暑く、日本のようなしんどさはなかった。けれど気を抜くとやはり体は火照っていて夏のヨーロッパだと感じた。この日は不思議なほど雲がなく、空は真っ青だった。あまりにも恵まれた天気に歩く足も自然と軽くなる。
歩いて歩いて歩いて。 “結構歩いたよね?”
本当に着くのか心配していると、運良く青の洞門まであと何メートルというような看板が見えた。どう考えても海はまだ先だったから、こういう看板が見えただけでも一安心だった。
こういう予定外の時間が旅の面白さを左右することは、なんとなく経験的に予想できても、いざ本当に歩くとなると意外としり込みするものだ。いくら道がわかっていたとしても初めての土地を延々歩くのはやはり精神的にもきつくなってくるし、わくわくした気持ちにも不安は混じっている。
住宅街を抜け、昔はここにも建物があったのかな?と思わせる遺跡のような、そんな場所を抜け、たまに写真を撮りながらもそれでもひたすら歩き続けた。
遠くに海が見えた時のあの感動は計り知れない。 “あ、海だ!” と、いうあの瞬間はきっとこの先何歳になっても感動するんだろう。
今回は母と二人で話ながらだったから不安はほとんどなかったけれど、結局目的の青の洞門に着いたのはバス停を出発してから約1時間も歩いた時だった。どうやら15分と50分を聞き間違えていたらしい。バスに乗れば10分ほどで十分着いただろうけど、まだかな?まだかな?というこのわくわくした気持ちは歩かなければわかならかっただろう。
マルタの青の洞門は想像以上の美しさだった。海面は太陽の光が当たるたびに宝石みたいにキラキラしている。船員さんが手を海の中に入れると、はっきりとその形が見える。どれだけの透明度なんだと思わずため息が漏れた。水が白く見えるところは海底が白い砂だからと聞いたときには思わず目を凝らしたが、そんなことをしなくても簡単に底まで見ることができた。
昔からどうしてだかわからないけれど船に乗るのが好きだ。大きい船も小さい船も乗るとなんだかわくわくする。海に入ることよりも船に乗ることが大好きで、風を感じたり、波のうねりに酔いそうになったり…まだ見ぬ未知の世界に行くような、そんな感覚が好きなのかもしれない。目的地は決まっているのに、どうしてあんなにわくわくするのか毎度乗るたびに不思議に思う。
海の中に入るほうが海を知れるだろうに、船に乗るとまるでその大きな世界を知ったようなそんな不思議な感覚になるんだ。
バスに乗る不安から始まった青の洞門への旅は優しい船員さんにも恵まれ楽しい時間を過ごした。青の洞門自体ももちろん素晴らしかったけれど、やはりその前後の過ごした時間がこのひと時をより特別なものへと変えてくれた気がした。