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執筆者の写真Ayako

氷がとけて春になるとき -「特別」という言葉


行きの飛行機から見た雪山や厚い氷は春になり溶けだしていた。

3月に出発してから約1ヶ月。わたしの気持ちに変化があったように、自然の世界も様変わりしていた。 行きと帰りでこんなにも見える景色が違うだなんて。リマの空港で過ごしたときも同じことを思った。あれほど警戒していた空港が全然違うように見えると。



これまでもたくさんの美しい景色を飛行機から見たが、これほど印象強く残ることはこの先なかなかないかもしれない。自分の中で「特別」という言葉を付けたくなる瞬間は人生で一体どれだけあるのだろう。

大学時代にゼミの先生が言った。人生で努力することはそう多くはない、だから今目の前の卒論くらいは頑張りなさいと。

あれからもう10年近く経つが、がんばったことや挑戦してみたこと、良い思い出も悪い思い出も含めてすべて自発的にやったことばかりな気がする。学生時代とは違い、与えられたものをやるだけでは、よほど意識しない限り努力するということ自体なかなかないのかもしれない。

何かあるたびにこの先生の言葉を思い出していたが、こうしてまた南米の旅を経て先生の言葉がどうしてよみがえってきたのかというと、卒業後ほどなくしてやりたいと思いながら温めてきたことを達成したからだと思った。これは努力するという話とは違うけれど、自分にとって特別になりうるという意味においては似たようなものな気がした。

一方、南米へ旅立つ前少しばかり不安だったことがある。ずっと何年もの間夢見たことを達成すれば、次の目標は何にすればいいのだろうという思いだった。旅をすればするほど行きたい場所は増えたし、もう一度訪れたい場所も増えた。けれど自分の中で特別な思いを抱く場所というのはそう多くはない。まだ行ってもいない南米を思ってはそんな風に考える自分がいた。

けれど今、そんな心配はどこへ行ったのかと思うほどになった。南米へ行く前では気づかなかった気持ちが自分の中で芽生え、新しい夢に向かいながら日々過ごしているからだ。

南米は想像以上の場所だった。写真やテレビで見るだけではわからない良さがあった。行き詰まってどうしようと思ったことも、谷間の変なところで降ろされたことも、スペイン語が理解できずあたふたしたこともすべてが特別な思い出になった。そして何より今まで南米と一括りで話していたが、そんな簡単にはまとめられないと知った。

一年以上経った今もなおその魅力に魅了されているわたしがいる。きっとまた行くことがあれば、自分にとって特別な時間になるだろう。

人生で「特別」という言葉を付けたくなる瞬間はそう多くはないと思っていたけれど、これからどんどん増やしていけばいいじゃないか。それはいつでも、いくらあったっていい。どれだけ増えたってその瞬間感じた気持ちは特別なことに変わりはないのだから。


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