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執筆者の写真Ayako

どうして人を騙すんだろう -ブエノス・アイレス最終日に思ったこと


ブエノス・アイレス最終日は夜中の3時に起きた。空港へ出発したのは早朝の4時半。レミースに乗り込んだときも外はまだまだ真っ暗だった。事前にホテルから予約をし、聞いていた乗車賃と余ったペソだけを持ち空港へ向かった。

レミースから見る夜中のアルゼンチンはとても魅力的だった。想像よりも全然怖くなくって、騒がしいイメージだったのにとても落ち着いていた。少しの明かりが夜の雰囲気を漂わせていて、誰かと一緒だったら夜ももっと出かけたかったと思った。

夜中というだけでどうしてこんなに特別に感じるんだろう。きっとみんなが寝静まっているのに自分たちだけは起きていて、普段だったら目にしない景色を目にし、ちょっと秘密めいた雰囲気を持っているからかもしれない。

空港へは予定通り着き、予約から乗車までに何度も確認した650ペソを渡そうとした。すると、ドライバーは当然のように670だと言う。ぎりぎりしか持っておらずレミースの中で慌てた上、外は真っ暗だし、空港とは言えどそれほど人が多いわけじゃない。こんな真っ暗なレミースの中、ドライバーと二人っきりで言われた通りの代金を払わなかったらどうなるのだろう。せっかく危ないという噂のタクシーを避けてわざわざ高いレミースを予約したというのに、なんの意味もないではないか。たった20ペソとは言え渡したくなかった。けれど、ここまで安全に旅してきたのに、こんなところで嫌な思いはしたくない。おかしいとはもちろん主張したけれど、結局670ペソを支払い、モヤモヤした気持ちを抱えたまま空港のカウンターへ向かった。


後からどんどんムカムカしてきた。どうしてわざわざ高いレミースにしたのに、どうして先に料金が決まっていたのに、20ペソも多く払わなければならなかったのだろう。ボリビアのラパスでも代金を上乗せされ、要求されたことがあった。あの時も腹が立った。そもそも確かに日本人、そして旅行者はお金を持っているかもしれない。それは事実だと思う。けれどわたしにとってこのお金はとても大切で、毎日働いて貯金をしてやっと来られたというのに、こんな一瞬でどうして取られなきゃいけないんだ。

命と比べたら - そんな風に言われればいくらでもお金を渡せばいいのかもしれない。

結果的に何事もなく帰ってこれたのだからいいじゃない、と言われれば確かにそうですとしか言いようがない。けれど、外国で過剰な要求をされるたびにいつも思う。確かに経済的には豊かな国に暮らしているかもしれない。けれど、わたしにとってもこのお金はとても大切なものだから大切に使いたいんだと。そしてそれはひったくりや人を騙そうとしている人のために渡すためにあるのではない。このお金は何時間働いたら得られるものかわかる?あなただって毎日働いているのだから、わたしの気持ち、少しくらいはわかるでしょう?と。何より、そういった行動がたくさんの噂になり、どんどんあなたの国や町の評判が悪くなるんだよと。

出国の手続きが終わってからも、そんなイライラでいっぱいになってしまった。

事実、やはりそんなことがあったラパスとブエノス・アイレスのことを考えると、そのことを思い出してしまう。もちろんそれ以上の良さがあるわけだが、どうしても思い出してしまうのだ。そしてこんな出来事があったから気を付けてね、とたくさんの人がそうするように人に伝えるのは当然のことのような気がする。




けれど、その一方で気づいたこともある。南米を色々とまわり最後に訪れたアルゼンチン。こんな大都会でいろんなもので溢れている一方で貧富の差が激しいと実感したとき、働ける自分がどれだけ幸せなんだと。

大学を卒業してから、何度か転職はしたけれど、それでもずっと働いてきた。どうして働いていたかと言われると、大人だからとかそんなことの前に両親がそうしていたから、働くことが当たり前と思っていたのだと思う。そもそも働かないという選択肢はわたしの中にはこれっぽちもなかったかもしれない。

けれど、そんなことは当然でもなんでもなく、世界には働きたくても働けない人がいる。それは体調などの問題ではなくそういう環境にすらないということ。

もし、わたしの両親がひったくりをしながら生計を立てていたら、もしかしたらそれが当然と思うかもしれない。何度も就職活動をしてダメだったら、わたしもダメだと思うかもしれない。とても端的な話でこんな風に簡単にまとめられる話ではないとはもちろんわかってはいるけれど、自分のいる当たり前の環境こそがそんな風にさせてきたのだと思った。

それはアルゼンチンでよく見かけたエビータもそうだったのかもしれない。彼女は貧しい生活をしていたが、娼婦など色んな仕事をし大統領夫人になったのだという。エビータに対しては色々な意見があるらしく、ここではそういった細かいことは省くが、彼女に関する話を聞いたとき、仕事をするということ自体一筋縄ではいかなかったはずだと容易に想像できた。

わたしはひったくりには合わなかったけれど、レストランでは物乞いにあったり、ものを売りつけようとする人を何度となく見た。全員に悪気があるわけではなく、本当に生活のためにしているのだとしたら?

その方たちは実際は安定した仕事があるのか、それはこれからもわからない。けれど、ひったくりをしている理由が働き方を知らないとか働けないからだとしたら?

南米を一ヶ月間旅することができたのは大前提として日本で働くことができたことがとても大きい。それまでは仕事の疲ればかりに目が行ってしまい、度々思い出していたが、働けるということ自体がとても幸せなのだと思った。そして、自分で働いてお金を得れる環境にあるということがとても素晴らしく、またそれを自分自身に使えること自体もとてもありがたいことなのだと改めて感じた。 自分が当たり前に見ている周りや日本人の生活。 そういったものの影響は本当に大きく、毎日それを見るだけで無意識に影響を受けているのだと気づいた。そしてもし何の疑問にも思わなければ、自分にとってそれは世界のすべてだと勘違いするだろう。 イライラする気持ちに変わりはなかったけれど、自分が生きている世界がすべてではないと改めて実感として湧いたとき、自分のものの見方をもっと変えていけたらと思った。


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