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執筆者の写真Ayako

異文化を体感すること - イースター休暇


ブエノス・アイレスから出航するウルグアイ行きのフェリーは満席。 どのブログを見ても、当日予約で十分間に合うと書かれていたのに、数日前念のためフェリー乗り場に行くとその日はもう空いていないと言われた。目当ての日に行けないのは正直予定外だったが、幸い他は余裕があったので別の日をチェックし、当日再び訪れることになった。





初日の印象は人だらけのブエノス・アイレスだったが、その日の帰り道はなんだか様子がおかしかった。メインであるストリートは前日よりも人が少なく、気のせいか活気がないように見える。 “何かイベントでもあって、みんなそこに集まっているのかな?” とにかくよくわかなかったが、人気がないのが少し気になり早めにホテルへ戻ることにした。

翌日、行きたい場所があり真っ先に向かったが、お店に着くとお休みだった。定休日はきっちり調べてきたのに、変わったのかなと思っていると男性に声をかけられた。 “今日は祝日だからお休みだよ。” 歩いてきただけにショックだったが祝日なら仕方がない。けれど、いくら祝日とは言え、他のお店も周りのお店もほとんどが閉まってる。

“いくら日本と違うとは言え、あまりにも閉まりすぎじゃない?”

なんとなくではあるが、やっぱりおかしい。もしかしてまたデモが関係しているのかな?もうすぐ帰国だと言うのに、飛行機が飛ばない等何かあったらどうしよう、と少し嫌な予感が頭をよぎった。

けれど結局、このひと気のなさの原因はイースター休暇だった。そう、ウルグアイ行きのフェリーが満席だったのも、このイースターが影響してたのだ。


イースター - キリストの復活祭。日本でも最近イースターに合わせてかわいいグッズが売られていたり、イベントがあったり昔よりも広がってきた気はする。けれどここはアルゼンチン。日本のような商業的なものではなく、大半の人がキリスト教を信仰している国だ。思えば、これまでそういったものに参加したこともなければ、そういう日に海外に行くこともなかった。今回まさかこれほどの人が休むなんて考えてもおらず、この旅一番の予定外だった。

わたしが困ったことと言えば人の少なさだった。正直言って、普段は人が多いブエノス・アイレスに人がいなくなると、一人で歩くのが怖くなった。気を付けたら大丈夫だと思ってはいたものの、できるだけ人気がないところは通らないようにしようにも、そもそも本当に人がいない。お店は開いているところへ行けばいいが、道はある程度限られてくる。予想もしない展開に正直とまどった。


けれどそんな風に思いながらホテル近くの5月広場に着くと、そこは人でいっぱいだった。加えて讃美歌が大音量で流れている。いや、正確に言うと流れているのではなく、大勢の人が舞台に立ち歌を歌っていた。ラフな服装をし、まだまだ練習中という感じだったが、あの重圧感のある、けれど美しい歌に圧倒されてしまった。思わず誰もが立ち止まり、その歌に耳を傾けた。歌のタイトルもわからないし、なんと歌っているのかもわからない。そしてわたしはキリスト教徒ではないが、なんだか泣けてくるほど歌声が美しく、イースターだからこそ見れた光景に先ほどまで不安だった気持ちがみるみる緩みだした。大聖堂もたくさんの人が出入りし、何か大切な行事が執り行われているようだった。




海外を旅して感じることのひとつはその場所で実際に体験しないとわからないことがあるということ。知識だけではどうしても知りえないことが世界にはたくさんあるということだ。 人間は想像だってできる。今ではテレビだってあるから映像を見て、音を聞くことだってできる。けれどどれだけ見ていたって、どれだけ勉強したって実際に足を運べばその何倍もの感覚で一気に自分の中に流れ込んでくるものがある。


それは誰かに伝えられるほどの言葉にするには難しいかもしれないし、その場でいくら写真を撮ったり録音して相手に伝えようにも後からはうまく伝えられないかもしれない。けれど言葉にせずとも体に一度流れた感覚というものはなかなかなくならない。一度行った場所を写真で見たときにふっと思い出すあの旅人ならだれもが持っている感覚はその体験から来ているのだろう。そういった経験を重ね、旅ならではの良さというものはこういった経験なのだとわかった。

この後の滞在でもイースター休暇の余波はずっと続き、帰る前日になりやっと市内のお店が開きだした。もともとお店はないものだと勘違いするほど静かだった場所も、実際はお店だったと驚いた。人の波にまた埋もれそうになりながらも、初日のブエノス・アイレスの印象とそのときの目に映る景色はなんだか変わっていた気がした。


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