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執筆者の写真Ayako

大都会 ブエノス・アイレス


“¡Hola!¡Buenos días!” 毎朝、“¡Hola!”しか言わないわたしに教えてくれたフロントマン。

“おはようございます。ブエノス・アイレスではこうやって言うんだよ。” 不安だったブエノス・アイレスはこのホテルの人達に安心させてもらった。





ホルヘ・ニューベリー空港に到着した日。 今までとは違った都会の景色に驚きながらも、ここで一週間以上も過ごすのかとどうしてだか不思議な気持ちになった。タクシーは危ないという噂を信じて早速レミースを手配する。カードで支払うとすぐに担当ドライバーがわたしのほうにやってきた。

アルゼンチンは近年インフレが激しく、物価があっという間に変わると聞いた。加えて闇両替商と呼ばれる方たちがいた時期もあったらしい。ガイドブックは最新のものとは言え、こういった変化にはやはりネットが便利である。しかし、昨年訪れた人のブログを見ても、なぜかアルゼンチンだけは参考になるものがない。とにかく不安要素だけは避けたかったので、十分なお金をチリで両替し、極力カード払いにしようとアルゼンチンでは決めていた。

アルゼンチンに入るのはこれで2度目。 1度目のプルママルカではチリに行けるかどうかという不安と必死さが強く、今思えば普通の会話を楽しむ余裕をあまり持ち合わせていなかった。

では、ブエノス・アイレスでその余裕はあったのか?と言われればそんなことはない。物価の問題に加え治安の悪さや貧富の差の問題等あらゆることを聞いていたからだ。もともと都会よりも自然が好きなわたしはそもそもパタゴニアに行きたかったが色々あって辞めてしまっていた。となれば、ここブエノス・アイレスでとにかく楽しむしかない。 そのためには、不安になるようなことは起こさないよう自分で自分の身を守る必要があった。

レミースを呼んだのはそんな思いからだった。レミースはタクシーよりも価格が高いが比較的安全だと聞いた。先にお金を払うのでドライバーに直接払うこともない。そんな話を聞いてはいたが、やはり心配ではある。

都会の中にいきなり見え隠れするスラム街を眺めながら中心地に入っていく。地図を見ていたが、どうしてこんな道を行くの?と、かなり遠回りをしたように感じながらも無事ホテルへ到着した時には、ただ一通の道だったため遠回りせざるを得なかっただけだとわかった。

やっと頬を緩める余裕ができたわたしはドライバーさんにありがとうと言うと、彼もわたしが安心したと感じたのか、優しくほほ笑み返した。

ホテルに入るとホテルマンはてきぱき手続きを進めている。一見強面なおじいさんは少し怖かったが、スペイン語しか話せないという口コミは外れ、英語で優しく説明してくれた。ホテルに地図はないけれど、ここからインフォメーションへは簡単に行けること、そしてそこでは地図がもらえること。近くの観光地へはまっすぐ行けばすぐにあること。 丁寧にわかりやすく説明してくれたおかげで安心することができた。

前日の夜、チリ・サンティアゴ空港でほぼ寝ずに過ごしたせいで頭がぼーっとする中、余計なものは一切持たずホテルを出た。一度ブエノス・アイレスという町がどんなものか見てみよう。そんな気持ちだった気がする。

実際に出てみるとそこは人、人、人の集団だった。 今まで訪れた場所とは比較にならないほどの人。 おしゃれなお店もスターバックスも当たり前のようにある。ごはんに困っていたわたしはチェーン店を見かけ少しばかり安心する。けれどまっすぐ向かった先はなぜか進めなくなっており、よく見るとたくさんの人々が集まりデモをしていた。警官がたくさん集まり、大声を張りながら旗を持って行進している。怖くなりホテルへ引き返すと、ホテルマンは毎日の光景だと言う。

“政府がなんだ、仕事がなんだって言って毎日デモをしているよ。” 彼がそういった通り、これはブエノス・アイレスでは日常茶飯事だった。次第に警察がうろうろしていることもデモの声が聞こえることも当たり前になっていった。






これがブエノス・アイレスか。

今まで行ったどんな場所とも違うブエノス・アイレスに戸惑いを覚えながらも、少しばかり楽しむ余裕が出てきたわたしは旅の最後をここで思いっきり楽しもうと決意した。


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