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執筆者の写真Ayako

念願のアタカマ塩湖へ


ランチを食べたあと向かったのは、みんなが楽しみにしていたアタカマ塩湖だった。ボリビアのウユニ塩湖、アルゼンチンのサリーナス・グランデス。三つ目の塩湖はどんな場所だろう、フラミンゴは見えるかな?なんといってもウユニ塩湖に次ぐ世界第二位の広さを持つ塩湖である。ドキドキした気持ちが止まらなかった。色んなわくわくが混ざり、とても楽しみにしていたアタカマ塩湖だったが、実際に到着したときはまったく別の感想を持った。というのも自分が想像していたものとは全然違ったからだ。




アタカマ塩湖はそれまで見た塩湖とは全く違っていた。色は白ではなく茶色。足元も知らなければ普通の土と勘違いするほど茶色い色をしている。見た目は泥そのものだ。もちろんよく見れば塩の結晶が見えるので足元はすべて塩なのだが、色が全く違ったためにびっくりした。そしてここを観て周る時間はなんと30分しかないという。どうやら他をゆっくり見たため時間がなくなってしまったらしい。加えて、近くで見えると思っていたフラミンゴは遠くにおり、望遠レンズで覗いてもまだまだ小さかった。



期待値が高く、先に見た塩湖が想像を絶する美しさだったため最初のうちはショックだった。けれどそんな地味だと思った第一印象は塩湖を歩いているうちに素敵な印象へと変わっていった。なんと言っても、やはりその大きさには驚かされた。塩湖内は歩けるように道がひかれているが、30分ではとても観て周れない。そして遠くに変わりはないが、チャクサ湖で食事中のフラミンゴもたくさん見える。フラミンゴの群れは全体が下を向いていたが、自然の中で見るのは初めてだったのでとても感動した。そして何よりバックにそびえっている山々の美しいこと。サンペドロ・デ・アタカマの町から遠くに見た山と同じものかはわからないが、前日の夕方に感動したことを思い出し、とても感慨深い気持ちになった。






そうこうしているうちに30分が経ってしまいあっけなく車に戻ることになったが、短い時間でもその良さは十分に感じることができた。

ツアーの最後はトコナオ村を訪れた。ここは帰国後調べたところインディヘナの村だったらしいが、当時は説明をちゃんと聞いておらずわからなかった。そもそも、ペルーに着いた時から思っていたことだが、わたしはあまり教会に興味を持たなかった。ペルーのクスコではスペイン統治時代とインカ帝国時代の両方の色が残っていたが、教会を見てもそれほど興味をそそられず、ここトコナオ村でも白い教会「サン・ルーカス教会」が印象的だったが、あまり興味を持たなかった。しかし、今思えばなかなか行く機会もないのに、あまりにもぼけ~っとしすぎたなと思うが、だいたい旅の時の気持ちというのは正直なもので、関心を持つときはどんなに些細なものでも興味を持つものである。後からインディヘナ最後の村なんて聞くともっとちゃんと見ておけばよかった!!なんて思ったが、今行っても実際の印象はさほど変わらないのかもしれない。






ツアーが終わると町で降ろしてくれたが、“ここは警察が来るから長くは停車できないんだ!早く降りて~!”と、ガイドのアレックスは早々と言い、ろくにお礼も言えぬまま降りることになった。とても印象に残るガイドさんだったので最後に写真を撮れなかったのがとても残念だったし、お礼もちゃんと言えなかったのであまりにもあっけないお別れに感じた。

フランス人の彼とも、良い旅を!!と言ってバイバイした。この時、よく考えたら彼の名前すら知らなかったと思い、せめて名前だけでも聞いていればよかったと思った。振り返るとほんの一時とは言え話した方の名前を聞かなかったことが多く、この後からはちゃんと聞いておこうと決めたのだった。

町に着いたのは夕方でおそらく昨日来たときと同じような時間だった。前日にかわいいと思っていたお店へ行き、お土産を買った。この町はおしゃれな田舎町と言った感じだが、そもそもチリで売られていたものはおしゃれなものが多くあり、そういった部分も好きになった理由だった。おそらくわたし好みの場所なのだろう。この後、イースター島へ行きアルゼンチンへ向かうことが決まっていたが、チリの良さに早く気づいていればブエノス・アイレスの滞在を短くしサンティアゴで過ごすことができただろうが、残念ながら気づくのが遅すぎた。




ところでガイドのアレックスは違ったが、ほかのチリ人はそれほど表情豊かとはいえなかった。どちらかと言うとラテン系なわりに堅いイメージで日本と似ている気がした。けれどとても人情に厚いなあと感じることが多々あり、チリで過ごした時間はとても大切な時間となった。ほかにもたくさん行きたい場所があるチリはまた訪れたい場所の一つである。チリは想像以上に気に入った場所で一番予想が外れた場所でもあった。

お土産を買ったあとはアイスクリームを食べた。ここは前日にも行っており、せっかくなら違う店に行ったらよかったのだが、おいしさが忘れられずまた行ってしまった。昨日はとにかく焦りがありゆっくり堪能できなかったが、よく見ると南米産の素材が使われているお店だった。高地で育つ食物が使われているのか、キヌア以外は知らないものが多く、リカリカという謎の食べ物も未だに何かわからないままである。南米では本当に見たことのないものが多くあり面白かった。




明日の朝また来よう。 - いつの間にか時間が経ち、宿が町の中心部から少し離れていたため少し早めに戻り、バスのチケットを買いに行ったが、結局翌日にここに来ることはなかった。まさかチリ人があんなに時間にきっちりしているなんて思いもしなかったから。

そんなわけで大好きなサンペドロ・デ・アタカマの写真はほとんど撮ることもなく、ゆっくり滞在することもなく、まさしく通り過ぎるような感覚での滞在になってしまった。けれどそんな短い滞在でも、ここで感じた印象は懐かしいというとても印象深い感覚だった。どうしてそう思ったのかはわからないが、町の雰囲気がそうさせたのだと思う。

もう一つ、印象深かったことと言えば宿に帰る途中レストランからJames Arthur「Say You Won't Let Go」が流れてきた事だった。この曲はちょうど半年ほど前北海道ニセコを旅したときに車中で流していた曲だった。ニセコは久々に一人旅した場所で、当時はまだ南米に行くことが決まっていなかった。なぜだかわからないが、あの時車内で聞いていた時間がとても心地よく印象に残っていたため、チリでこの曲を聞いたときにニセコを旅した記憶がよみがえってきた。まだ一年も経っていないあの時、わたしは自分が南米に行くなんて想像していなかった。そんな風に考えると一年前、いや前日の自分ですら想像できないことが起こる可能性もきっとあるのだとそんな人間の可能性みたいなものに想いを馳せた。

うまく言えないけれど自分で思っているよりも、可能性というのは大きく開けているのかもしれない。

思い出の曲を聞いただけでそんな気持ちまで思い出すような場所になったサンペドロ・デ・アタカマ。また行けたらいいな。


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