その後も車の窓から見える景色はどれも絶景で感動した。はじめはすごい、すごい、すごい!!と頭の中で繰り返したが次第にそんな言葉も出ないほど当たり前になり、絶景は常に目の前にあった。
今回のツアーガイドはアレックスというとても陽気な方だった。振り返ると南米の旅の途中さまざまな現地のツアーに参加し、どの方もとても親切だったが彼ほど楽しませてくれた人はいなかった。朝食のときは余ったパンにチーズとハムを挟み車に持ち込むし、車内ではいきなり歌いだすし、運転中でも大きな声で喋りながら常に笑っているし、彼のおかげでツアーは楽しく回ることができた。けれど歴史の話など真剣なシーンではまじめに、きちんとわかりやすく説明してくれた。それまでのツアーはメインはスペイン語、英語はいちおう話す、というようなスタンスが多かった。もちろん、私の英語力のなさが一番の原因ではあるし、そもそもスペイン語圏で英語を話してくれること自体とても親切なことではあるが、あまりにも早口すぎてなんと言っているのかわからないことが多かった。また、英語を話していたらいつの間にかスペイン語に変わっていた、なんてこともしょっちゅうで、おそらくマニュアル的に話しているから余計にわかりにくかったのだと思う。彼はわたしだけが英語が必要だったというのもあるけれど、一回一回きちんと向き合って丁寧に話してくれた。とても嬉しかったし、彼のおかげでこのツアーはより実り多いものになったと思う。
ピエドラス・ロハス(Piedras Rojas)は着いた瞬間、絶句するほどの美しさだった。同時に強風すぎて耳が痛くなり、制限時間よりも早く車に戻った場所でもある。毎度ツアーの決められた時間では足りないわたしだが、この時は耳が痛すぎたためどうしようもなく、途中で断念したほどだった。それほど風は冷たく、その強さに何度もふらついてしまった。そもそも慌てて出たせいで上着を忘れたためにこのような事になったのだが、町は日差しが強くとても暑かったのでその気温差にあらためて驚いた。それにしても湖だと思われるこの場所はまるで海のようで、周りは砂浜のようななんとも不思議な場所だった。色も今までに見たことのないような変わった色をしていた。サンペドロ・デ・アタカマに来てからは何度も“地球ではないみたい”という言葉を繰り返したが、ここもまさしく違う惑星かどこかではないかと思うような場所だった。ここはガイドブックにも載っていない上、ネットで検索してもなかなか出てこず未だに謎でいっぱいの場所だ。だからこそ余計に不思議な気持ちにさせるのかもしれない。
“自然を表す色とは?”
もしもそんな質問をされたらなんて答えるだろう。 自然がいっぱいある。 - 日本でこんな風に表現すれば、ぱっと思い浮かぶのは緑だろうか。日本では夏の山などを見て青々とした…なんていう表現をするが、そういった木々や草が生い茂るところを想像する人は多いかもしれない。もしくはここに来る前に見た湖、山、そして空の青、そして大好きな人も多い海は青い色をしているから、青を思い浮かべる人も多いかもしれない。けれど、この場所は間違いなく大自然の中にある湖だったが、緑でも青でもなかった。水は透明だろうが、下の砂が映っているのか見た目は真っ白、水面は風の影響で美しい文様ができていた。まわりの山々も緑と言うよりは黄土色や黒っぽさが混ざった茶色に近い見たことのない色をしている。強いて言うなら北海道の弟子屈で見た硫黄山。ここの色に似ているかもしれない。けれど自分の記憶の中からなんとかひっぱり出してそう思ったが、やっぱり違った。この色をわたしは今までに見たことがないと思った。
自然とは本当に未知数で知らないことだらけだ。いつもそう思い知らされるが、今回はそんな思いもはるかに超えるほど新しい色をしていた。そして、日本の色にはよく自然の名前が付けられているが、チリでもし名前を付けるなら何色になるんだろうと思った。スペイン語は全然わからなかったが、もしスペイン語でそのような言葉があったら面白いのにと感じた。
お昼になりランチの時間になった。食べているとブラジル人カップルに話しかけられた。どうやらわたしが日本人と知ってからずっと話したかったようで、聞けば日本に行ってみたいと言う。旅していて日本人ということをわかってくれる人は多いが、日本に行きたいと具体的な話をされたことは今までほとんどなかった。けれど、桜をいつか見てみたい、日本語が全くわからないが個人では周れるだろうか?あなたは英語をどうやって勉強したの?日本人はみんなそうなのかな? - 色々なことをたくさん思ってくれていたようで、たくさんの質問をしてくれた。聞けば以前お友達がビザの取得に時間を要したため、いろいろと不安に思っていたようだ。
わたしからすれば、日本は治安も良く、観光地では看板等も用意され、それほど不便なく簡単に旅することができるように感じたが、確かに英語はわかるとは言え日本語しかない世界を想像すれば不安になるだろう。それに地球の裏側でどれだけ日本の情報が得られるかと言えば、個人で調べるには難しいだろうと思った。彼らとそんな話をしたおかげで、一人参加で少し心配していたランチも終始楽しく過ごすことができた。
ランチが終わるとフランス人の男性においしかった?と聞かれた。思わず本音が出てしまい、普通だったと答えると、"Miss Japanese food?(日本食が恋しい?)”と聞かれた。この時のハッとした気持ちは今でも忘れられない。“そうだ、わたしは日本食が恋しかったんだ。”あまりにも平凡すぎる感想に聞こえるが、こんな風に言われるまで自分がここまで恋しく思っている事など全く気付いていなかった。
南米に来て半月。たくさんたくさん感動して、日本にも帰りたくない気持ちでいっぱいだったが食事だけは困っていた。海外でこれほど合わなかったのは珍しく、今思えば高地で過ごしていたのであまり食べられなかったのも影響しているのだが、この時はただただ“そうだ、わたしは日本食が食べたいんだ。”と、はっきり気づき、思わず彼にもYes!!と繰り返し言ってしまった。
わたしは日本人だ。 - そんな風にはっきり感じたのもこの時だった。今まで海外に行っても意識したことはなかった。けれど、日本で過ごしている時には意識して食べないお味噌汁やおうどん、白米に納豆。度々思い出す日本のごはん。何かおダシだけでも持ってくればよかった…何度思ったかわからないほど繰り返し思い出していた。思えば南米に帰国する前、母に日本に帰ってきたら何が食べたい?と、聞かれたときも、“納豆とごはんがあればそれで充分。”と、答えた気がする。それほどまでに日本食が恋しかった。この時気づいたが、南米に来てからは毎度ごはんのことばかり考えていた自分がいた。お味噌汁を思い出して自分が“日本人だなあ。”と思う瞬間が来るなんて自分でも思いもよらず唖然としたが、彼のふとした言葉でそんな思いが一気にあふれ出した。
今思えば桜もそうだった。ちょうど3月の終わりから4月にかけて旅していたので、日本ではちょうど桜が咲いているな、と度々思い描いていた。日本から写真が送られてきた時の、あのとても嬉しく思った気持ちは今でも忘れられない大切な思い出である。日本で生活しているときに何気なく思っていること - 食事、四季、イベントなど - 幼少時から当たり前に感じていることほど、気が付かないのだと思った。そしてそういった感情や記憶というものは誰かに言われてハッと気が付くほど、自分の心の中にも体の中にも隅々にまで染みわたっている当たり前のことなのだと思った。