ソカイレ村をあとにし、車がまた走り出すとビクーニャの群れに出会った。親子なのか2頭が可愛らしく寄り添っている。少し遠かったが全員車を降りその光景を眺めることができた。南米でビクーニャを見るのはもうおなじみになったが、やはり実際に見ると何度でも感動した。
湖へ向かっている途中、ガイドさんが車で近くまで行くか、それとも湖まで歩いていくか、どちらがいい??と聞いた。迷うことなく、全員が歩きたいと言い、早速車から降りることになった。ここも標高が高く、空気が薄い。ガイドさんは気を付けてね、とみんなに声をかけた。よく考えると、もう半月以上も高地を旅していることになる。はじめはあれほど気にしていたのに、全然そんな風に感じないほど、すっかり高地の生活に慣れていた。
車を降り、湖に向かっていると参加者の歓声が一気にあがった。このときの感動は今でも忘れられない。まっすぐ先に見えたミスカンティ湖の水の青、後ろにそびえたつ山の青、そして晴れた空の青がとても印象的だった。まるで青だけで描かれたような大自然。言葉にすると同じ色とは言え、色鮮やかなコントラストがとても印象的だった。ここは標高4000mを越える場所だからか、相変わらず風が冷たかった。けれど風がなくなるとそこには静寂が広がり、ただただその静けさに圧倒された。
思えばウユニ塩湖でも全員が黙った途端その静けさに圧倒された瞬間があった。自然の中の静さというものにこんなに感動させられるなんて、誰にも教わったことはなく、ただただなんとも言葉にしがたい瞬間を味わった。これほどの、自分の想像を超えた世界が待っているなんて思いもしなかった。
そのまま湖周辺をしばらく一人で歩いた。わたしが持っているレンズでは画角におさまらないほどの素晴らしい景色だった。今までも自然が大好きで山や湖を撮る機会が多くあったが、これほど広角レンズを持っていない自分を悔やんだことはなかった。とにかく広大な景色に圧倒されっぱなしだった。あまりにもここが大好きになり先に進めないでいると、ガイドさんに早く来てと呼ばれてしまった。
隣にあるミニケス湖は真横にあるとは思えないほど全然違った色をしていた。正確に言えば周りの色が違うのでそう見えたのかもしれない。背後にそびえたつ山は茶色で周りもまるで砂浜のような土で囲まれている。よく見ると湖の色は青かったが、周囲の色が違うだけでこんなにも印象が変わるとはとても驚いた。どちらもそれぞれとても美しい湖だったが、この美しさを表す言葉がうまく見つけられなくて悔しかった。どちらとも同じ地球上のものとは思えないほど圧倒的な存在感をはなっていた。
ところで、今回驚いたことの一つが周る場所がすべて観光地化されていたことだ。自然なのでもちろん過剰に手を加えられているわけではないが、人が歩く場所にはしっかり道が作られ、こんな自然の中でもトイレがある。その上、ここではお金がかからない。日本では当たり前のことだが、南米にきてからはずっとコインを切らさないようにしていたので、久しぶりの感覚だった。ランチを食べたお店で話を聞くと、ここのトイレの水は毎日トラックで運んでいるという。とても貴重な水だから、無駄遣いしないように、と使う前に説明を受けた。日本でさえ自然の中ではトイレが設置されていなかったり、また水を使わない仕様にするなど色んな工夫がされているが、ここではそんなことまでされていると聞きとても意外だった。しかし、南米五ヶ国周った中で(あくまでもわたしの知る限りになるが)チリが一番そういった面で発展しているように感じた。
安全に使える、そして清潔が保たれている。これらの条件が揃うことがどれほど難しいことか南米を旅して何度も感じた。日本では当たり前の感覚だし、今まで海外を旅して、汚い場所へ行っても特段気にしなかったが、長期の旅となると自分の体にも大きく影響してくる。それでもホテルに泊まっている以上何か困ったことがあったわけではなかったが、日本ではそういうことが何も疑問に思わないほど、当たり前の感覚で保ち続けられているんだと気づいた。
南米の後半、自分は日本で育った日本人だととても感じる機会が多くあった。それは後々にかけて特に多く出てきたが、この時感じた気持ちはその中でも特に印象に残ったものだった。