宿全体にインターホンの音が響き渡ったのは朝の6時50分。ツアーのお迎えは7時から7時半と聞いていたから、かなり早い到着にとても驚いた。慌てて出たせいで上着を忘れてしまったが、幸いダウンをかばんに入れていたのでそれが役に立った。
サンペドロ・デ・アタカマの朝はとても冷え込んでいる。日中は太陽の光が強く、焼けるような暑さだが、標高が高いためか朝晩の気温差が激しい。見上げると美しい星空が空一面に広がっているような、そんな夜明け前にツアーは始まった。
参加者全員のピックアップを終え、目的地向かう。車内では陽気な洋楽が流れていた。よく考えると、ペルー、ボリビア、そしてアルゼンチンではスペイン語の音楽ばかり聴いていたので久しぶりに聞いた洋楽に新鮮さを覚えた。光が強くなってきたと窓の外を覗いてみると、強い光を伴って朝日はどんどん昇っていった。いつの間にか町から遠ざかったと思っていると、まっすぐな道が続く場所でガイドさんは車を停めた。ここで朝食を取るという。
まだまだ寒い中、ガイドさんが朝食を用意してくれる。パンとチーズにハム。温かいコーヒー。素朴だけれど自然の中で食べる朝食はとてもおいしかった。ガイドさんはここでチリの歴史の話をしてくれた。英語で理解するのが難しかったことに加え、学校で一度も習ったことがなかった話だったので頭の中で整理するのに時間を要した。けれどこの時聞いた話はとても印象に残るものとなった。
今回のツアー参加者はわたしを含めて7人。ブラジル出身のカップル、女性の一人参加者と二人組、そして不思議なことにここでもフランス人と出会った。一人参加の彼は6週間の日程でここに来ており、今週フランスへ帰ると言っていた。彼はその後歴史の認識についても語ってくれたが、話していることはわかるのに、自分の言いたいことが言えなくて、とてももどかしくなった。
ところで、今回の参加者の中で母国語がスペイン語でないのは少なくともわたしを含めて4人いた。けれど、スペイン語がわからず英語で説明してもらったのはわたしだけだった。フランス人とブラジル人にどうしてスペイン語がわかるのか聞いたが、なんとなくわかるのよ~というような曖昧な返事であった。けれどわたしが思うにそんな風に言う彼らの英語はペラペラである。おそらく彼らはスペイン語もきっとそれなりに話せ、理解することができるのだろう。実際ここ以外でもあらゆるところで母国語、英語、そしてスペイン語を話せる人に出会った。言葉を理解するということは、相手のことをより深く理解することにもつながる。旅をするたびにそんな思いが強くなっていたわたしは、彼らを見習いたいと思った。
朝食を終え、少しゆったりとした時間ができるとさっき通ってきた道に出てみた。どこまでもまっすぐに続いている道。わたしたち以外には誰もおらず、先には美しい山々が見える。一人でこの道を眺めていると、本当に果てしなく続いているような気がした。 わたしはまっすぐな道が好きだ。写真を撮ることもとても多い。とはいえ、日本ではなかなかこういう道には出会わない。わたしが知る限りでは北海道くらいではないか。だから余計に惹かれるのかもしれないが、まっすぐな道を見つけるといつも写真を撮る衝動にかられてしまうのだ。道は旅と同じくよく人生に例えられるけれど、どこか人を魅了するものを持っているのかもしれない。
朝食を食べたあとは、ソカイレ村へ向かった。ここはアルゼンチンとの国境へ向かう道では、チリ側最後の村で、標高3218mに位置するとっても小さな村だ。聞いた話によると、インカ時代から続いている村で、素朴な教会が印象的だった。ちょうど正面には山が見え、村の教会と一直線に並んでいる。この意味もガイドさんは説明してくれたけれど、結局意味を理解しないままツアーを終えてしまい、後々後悔した。というのも、地球の裏側とはまさにこのことだと実感したのは帰国してからだった。日本で情報収集しようにも全然出てこないことが多いのだ。
日本に帰ってから調べよう --- 南米にいるあいだに何度も何度も思ったことだが、実際は日本で調べてもほとんど出てこなかった。図書館でさえ資料がなく、あったのはインカかアンデス、もしくはイースター島、そしてパタゴニアくらいのものだった。それくらい日本からは遠く、なかなか学ぶ機会がないのだとあらためて思った。
先述した歴史のこともそうだ。昔、チリとボリビアは戦争をしたことがあったらしく、それから今もなお両国は国交を断絶したままらしい。ボリビアからチリへ入国するときの審査が厳しいと陸路で渡った人のブログを読んだことがあったが、そういうことだったのかとこの時理解した。ガイドさんは何度もPacific War(太平洋戦争※1)という言葉を繰り返したが、この時の私はこの戦争のことを知らず、余計に頭が混乱したのだった。この時はさすがに意味が理解できなかったので繰り返し聞いてみたが、わたしが知る太平洋戦争のことではないと理解した時、やっと腑に落ちた気がした。
色んな世界のニュースが流れる中で、これだけ関心を持っている場所でさえ知らないことは本当に多い。チリではボリビア側のツアーもたくさんあったし、ボリビアでもチリへ向かうバスは頻繁に出ている。まさかそんなことがあるなんて考えもしなった。けれど、近年の南米でそんな大きな領土争いがあったのだと知ると、色々なものの見方がまた変わってくる気がした。
わたしがペルーへ先に行っていたのを知っていたフランス人の彼には、ペルーでこの歴史のことはどのように言われていた?と聞かれた。けれどこの戦争のこと自体を知らなかったわたしはこれに答えることができなかった。すでに訪れていたボリビアも、今いるチリも、両方同じくらいわたしは大好きになっていた。そんな両国間で未だに正式な国交が結ばれていないと聞くと、その問題の深さにとてもしんみりした気持ちになってしまった。
※1太平洋戦争
1879年から1884年にかけてボリビア、ペルーとチリの間であった戦争。チリが勝利している。
わたしたちが学校で必ず習う太平洋戦争(第二次世界大戦の中のひとつ)とは別の戦争である。