着いた瞬間、ここは砂の町だと思った。それくらい、砂ぼこりは常に舞っている。とても素朴で昔にタイムスリップしたような…そんな印象を抱いた場所だった。
先に言ってしまうと、南米の中でもう一度行きたい場所の一つであるのがこのサンペドロ・デ・アタカマである。帰国してから“どこが一番よかった??”と、色んな人に聞かれるたび、“一番よかった場所なんて決められない!全部よかったよ!!”と答えていたが、内心強いて言うならサンペドロ・デ・アタカマかなと思っていた。それくらい、二泊三日しかいなかったとは思えないほど、どうしてかその魅力にすっかり魅了されてしまったらしい。
ここに来る前にいたプルママルカも日差しは強かったが、ここサンペドロ・デ・アタカマはそれよりももっと日差しが強かった。一時間歩き回ると、クタクタになり、そのとき来ていたスエットは汗だくになってしまった。 と、いうのも直前に宿を変えたわたしは宿の情報を持ち合わせていなかった。
持ち合わせていなかった、というのは少し語弊があるかもしれない。単純に言えば、メモをするのを忘れただけだし、そもそもケータイから予約したのでもちろん情報がないわけではない。けれど南米に行く前にいくつか決めたことのうちのひとつ、ケータイを道端では使わないことを守っていたからだ。それは安全に旅をするために自分の中で決めたことだった。そして、その決め事を守るために、かすかな記憶と勘だけで延々探し回っていたのだ。
実際は旅の途中何度も思わず写真を撮りたくなるシーンに出くわしたので、結果的にまったく使わなかったわけではない。けれど、ひったくりが多い南米ではiPhoneを出したまま歩くなんてわたしの中では考えられなかった。
ところが、自分の記憶上の地図だけを頼りに何十分も歩き続けると、次第に喉も乾き、汗まみれになってしまった私はこの時ようやくiPhoneを道端で使うことを許した。それはどうしても仕方がなかったというのもあるし、チリは南米の中でも豊かな国で治安が良いと聞いていたからである。もちろんそんな情報があてになるかなんてわからないが、このときはどうしようもなかった。
しかし、結局のところこのiPhone上の地図や住所を見ても、そこから一時間も宿には辿り着けなかった。大きな荷物をずっと持ったままうろうろしている私を見ては、たくさんの人が大丈夫?と自ら話しかけてくれた。サンペドロ・デ・アタカマの人々はとても親切な人ばかりだった。誰もがiPhone上の地図や住所を見てはあっちだよ、こっちだよと教えてくれるが、みんながみんな別の場所を指すので結局最後はどれが本当かわからなくなった。一時間が経ち、これ以上どうしようもなかったので、絶対にないと思っていた町の中心地へ向かっていたところ、運よくツアー会社があった。そもそも町から外れた場所で宿を予約し、人の通りが少ない場所で探していたので余計にわからなかったのだろう。ツアー会社で確認すると、とても丁寧に説明をしてくれ、わたしが元々うろうろしていた場所で間違いがないことがわかった。ここに来るまでかなり長かったが、遠まわりしてよかったと少し安堵した。
それからすぐに元いた場所へ戻ったがそれでもなかなか見つからず、もう諦めて違うところへ泊まろうと思っていた頃、道路の端に座ったおじさんが話しかけてくれた。すると、わたしの宿情報を見て、そこを曲がったところだよ!と教えてくれたのだ。 見ると、その場所はさっきから何度も通ってはいたが、まったく気が付かなった場所だった。よくよく見ると、看板には宿の名前がでかでかと書かれているが、二段に分かれていたため名前だとわからなかったらしい。 一時間も歩きまわった上、夕方という時間もあり、わたしは正直焦っていた。ここは優しそうな人がたくさんいるけれど、それでもこの大きな荷物を持ってずっとうろうろするのはさすがに怖かったからだ。きっとそんな焦りもあり、余計に見つからなかったのだろう。そしてこの町の建物は似たような色で造られていることも多く、より一層わかりにくかったのだと思う。
ところでこの後宿にチェックインしたが、迎えてくれたのはまるで大阪のおばちゃんのようなとても元気でハイカラおばちゃんだった。スペイン語しか話せず、ここでも苦労したが、幸い屋根の修理をしていた方が英語を話してくれた。宿のオーナーはどこか別のところにいるらしく、ケータイ越しに何度か喋ったが、英語がわからないわたしのためにわざわざ電話をしてくれたのがとても嬉しかった。アタカマ塩湖へ行きたかったので、すぐに予約し無事に行くことが決まったときはやっと一安心できた。
翌日のツアーはクレジットカードが使えないので急いで町の中心地までお金をおろしにいった。 このとき、カメラを持って出るのを忘れていたことに気づき、よほど慌てていた自分に驚いた。 ふと我に返り落ち着いて見渡すと、そこには夕暮れ時のとても強い光が街全体を照らしていた。日本だったら考えられないほどの強い光だった。日中電気をつけていないお店が多かったが、それも納得のいく強さだった。
わたしはこの町が大好きになった。日本へ帰ってからもたびたび思い出すほど大好きな場所、サンペドロ・デ・アタカマ。町はとても素朴だが、夕暮れ時はとても美しく、町から遠くに見えた山々はいつの間にか赤く染まり、絵のような色をしていた。