小さなコレクティーボにはいつの間に集まったのか、私以外にも三組の人達が集まっていた。もう少し集客したい、もう少し、あともう少し…と何度か時間が延期されていたので全然集まっていないと思っていたが、車内はほとんど満席だった。
サリーナス・グランデスを楽しみにしていたが、実際はその道中であるウマワカ渓谷がとても美しかった。標高4170mには小さなお土産やさんが出店されている。さすが高山と言わんばかりの強風が絶えず吹いているのも印象的だった。急激に登らないようにするためか、車は驚くほどゆっくり進んだ。車内ではこの周辺に関するガイダンスが流れ、まさにサリーナス・グランデスへ行くツアーといった感じだ。
塩湖が見える直前、南米に来てからはおなじみになったビクーニャの大群がいた。それまではほとんど単体でしか見なかったので、さすがウマワカ渓谷と感動した。
いよいよサリーナデスグランデスへ着くとウユニ塩湖とは雰囲気が違い、遠くに見える山々にも目を奪われた。
正直ここに来るまでに色々あったおかげで来れた事自体に感動したわたしは、サリーナデス・グランデスで写真を撮り、また実際に来られた喜びをめいいっぱい感じる…それだけで満足してしまった。そのため特に何をするでもなく、後半は時間が来るまでぼ〜っと過ごしてしまった。あれだけ必死だった割に、なんともあっけない話ではあるが、実際気持ちの揺れが激しい時というのは、こんなものなのかもしれない。そして、それまでに通ったウマワカ渓谷が自分の想像をはるかに超えるほど美しかったので、そちらの印象も強く残ったせいでもあるのかもしれない。
帰りは驚くほど速いスピードで町まで帰って行った。全く同じルートを通っているのに、窓の外を流れる景色は倍の速さのように感じた。ちょうどレインボーの色をした山々が見えたころ、そろそろ町に着くというアナウンスが流れた。サリーナデス・グランデスへのツアー出発までにかけた時間を思えばあっという間だった。ここで支払う際、おつりはないということを言われている人を目にし、思わずまたどうしようかと警戒したが、この時はちょうど持ち合わせがありすぐに安心することができた。いちいち気にする自分にびっくりしたが、それほどまでに、ここに来てからは思い通りにいかないことのほうが多かったからかもしれない。
ダメ元でもやってみること。
南米の旅で得た教訓(そんな風に言っては言い過ぎかもしれないが )は、これに尽きる気がする。もちろん常識の範囲ではあるけれど、無理をしなければ、予定通りにいかないことが多々あったからだ。わたしは営業で働いたことは一度もないけれど、もしそうだったらいつもこんな気持ちなのだろうか。人に対して多少無理を言ってでもお願いするというのは、わたしにとってはなかなか、いや、とってもハードルが高いことだ。この旅の中ではそんな諦める選択肢がないほど、無理を言わなければならないことが多々あったが、同じことでも日本だったらすぐに諦めていたかもしれない。けれどこの時の“ダメ元でもやってみること”というのはもちろん自分発信のことだけではない。誰かから何かお願いされたときに、なんでも“ダメ。”“できません。”ではなくて、一度考えてみる、何かほかに方法はないか考えてみる、という受け取るほうの気持ちとしても改めて考えさせられたからだ。
17時にバスのチケットを買うため、また朝のお店に戻った。町の中心にあった出店はほとんどが閉まっている。休日だったので単純に朝しかやっていなかったのか、朝にゆっくり見て周っていてよかった、ただそんな風にしか思わなかったが、今思えばアルゼンチンでは当たり前の習慣 - シエスタ(昼休憩)だった。昼寝タイムとも聞いたことがあるこの習慣は今思えば何も気にすることはなかったのかもしれない。そもそも、仮にシエスタではなかったとしても、外国で時間通りにいかないことは南米出発前までは当たり前だったのに、この時の自分の心はかなりナイーブになっており、いちいちいつも以上に心配になっていたと思う。
お店の前ではひたすら待った。
17時10分を過ぎてもお店は開かないし、誰もやってこない。常に循環しているのか、同じパトカーだけが何度もお店の前を通りすぎる。 10分はそれほど長い時間ではないけれど、翌朝チリに向かおうと考えるとまだチケットを持っていなかったわたしは不安でしかなかった。その時、サリーナデス・グランデスのツアーの件で助けてくれたカップルにまた出会った。男性がまた話しかけてくれ、
“サリーナス・グランデスであなたを見かけたよ!行けたのを見て本当に嬉しかった!!”
まるで自分のことのように喜んでくれた。またまたサングラスで見えないのが幸いとばかりに涙が出てきた。しかも、この男性はわたしに英語で一生懸命話してくれるが、決して英語が得意というわけではなく、むしろところどころでこんな風に言いたいけど、単語がわからない…というように会話が止まるのだ。わたしからするとわたしのほうが下手なので何も気にしないが、彼はそんなことすらごめんねと言う。今回もわたしの困っていそうな姿を見てどうしたの?と心配してくれたようだ。 事情を話すと、“この街の人は眠っているみたいにとってものんびりしているから、きっと大丈夫だよ!!”と言って去っていった。なんとも優しいこの方々に本当に救われた。
この男性のおかげか、わたしの願いは無事に届き、この数分後男性が現れた。お店に入っていく彼に声をかけたが、どうやらここではないらしい。隣のお店だよと言い、彼はわたしの知る朝のお店に入っていった。またまた不安になったが、この数分後には見たことのない女性が現れた。
この町の人々は決して悪い人ではないが、表情が動かない人が多かった。わたしが不安だったので、余計にそう映ったのかもしれない。このときもその女性は愛想のない顔でお店に入っていった。女性は事務的に手続きをしていく。わたしのパスポートを預かり、ひたすらケータイを触っている。やっと要件が終わったのか、ケータイをしまうと、次はわたしのパスポートをまじまじと見始めた。出入国の形跡を確認したい気持ちはわかるけれど、他のページは関係ないんじゃ…と思ったが、かなりの時間をかけてパスポートを見ていた。 もともと50ドルと聞いていたが55ドルと言い切られ、これで行けなくなったら困るとそのまま出した。今振り返るとアルゼンチンの物価から考えれば決して高いチケットではなかったと思う。 最後にわたしがサインをし、チケットが発券されると、さっきまでとは一変、顔面いっぱいの笑顔でバスに乗る手順を説明し始めた。想像できると思うが、さっきまで無表情、なんの愛想もなく、すべてのパスポートのページを見られ、その後に満天の笑みを見せられても、むしろぞっとするのではないか。そんな感想も顔には出せず、そこからは親切にバス停の地図もくれ、無事に買うことができた。
たいしたことは何もしていないのにどっと疲れた一日だった。よく考えるとお昼ご飯の時間はとうに過ぎ、何も食べぬまま夜になっていた。念には念を。特に難しい道ではなかったが、明日に乗るバスのバス停まで一度歩き、道を確認した。遅めの夕食で食べたサンドイッチはおいしかったけれど、なんとなくまだ不安は残ったまま、明日のバスは無事に乗れるかどうか、そんなことばかりを考えていた。