夜のプルママルカは山の谷間とは正反対の明るさだった。小さい町ながらも人々が談笑する姿は微笑ましく、この町の雰囲気に救われた。予約をしていた宿の場所は、町の人に聞くとすぐにわかり、そのまま真っ直ぐ向かうことにした。 宿はわかりやすい場所にあったが、受付らしき場所には誰もいない。受付と言ってもカウンターというものがあるだけで、おそらくそこは常に誰かがいる場所ではなく、誰かが来るとその都度出てきているような様子だった。
南米に来てからというもの、米ドルを使うことが多かったわたしは、このときも宿泊代をドルで払うつもりだった。少なくとも、ここプルママルカへ来るまでは毎度使える場所が多く、なんの疑いも持ち合わせていなかった。しかし、宿泊代を出した途端、宿の方の答えはノー。アルゼンチンペソを持っていないわけではなかったが、アルゼンチン入国前のボリビアで替えたあのわずかなペソしかない。ノーとはっきり言われたので、持っているペソで払えば解決するが、あいにく手持ちのお金が少なかったので、なんとしてもドルで支払いたかった。 この町はほとんどのお店でクレジットカードが使えない。事前にそれは聞いていたが、まさかドルも使えないなんて。しかし、ここで使えないとなるとこの後も使えない可能性が高い。この宿代は決して高くはなかったけれど、なんとか粘ってみるしかなかった。しばらくすると、そんなわたしを見た宿泊客の男性が間に入ってきてくれた。日本へ行ったことがあるというその男性はわたしの英語を理解してくれた。この後、わたしのどうしてもドルを使いたいという気持ちを汲み取ってくれたのか、直に交渉をしてくれたのだ。この時の二人の会話はスペイン語だったので、何を話していたのかはさっぱりわからなかったが、いまいち納得のいかない様子ではあったが、結果的にドルを受け取ってくれた。この時ドルで支払えたことは後々とても功を奏した。
この後、どこからやってきたのか陽気なおばあさんも加わり、あまり笑わない宿の人を前にわたしは少し不安になっていたが、その二人にわたしは安心させてもらった。チェックインが終わり、無事に温かいシャワーを浴び、汚れた衣服を洗い、眠る準備を済ませた頃にはウユニを出発してから丸一日以上の時間が経過していた。あのどんどん暗くなる谷間で、車に乗る前まで不安だった時間が遠い昔に思えた。 翌日のサリーナスグランデスへは無事に行けるだろうか。何かと不安になるこの町だったが、明るくなってから考えようとこの日は眠りにつくことにした。