二泊三日と聞いてどんな旅を想像するだろう。少なくとも、一ヶ月の旅の間の二泊三日という期間はとてつもなく短い気がする。一つの土地を知るのに、二泊三日で済ませるのはもちろん勿体ない気がするし、せっかくの長旅で訪れているのに、その本当の良さを知らぬまま次の町に出発する、そんな忙しなさも感じる。けれど、この時のわたしは4月6日に必ずサンティアゴにいなければならないという理由があったので、どんな予定よりもそれを重要視していた。そもそもプルママルカとう町はガイドブックでも紹介されているのはほんのわずかで、かわいい町並みとウマワカ渓谷、そしてサリーナス・グランデス、この三つを見ればとりあえずは自分の欲を満たせると思っていたのだ。
しかし、わたしの予想は違った方向に外れていたように思う。ウユニからの列車の遅延、プルママルカについてからの不安な時間。チェックイン時にドルが遣えない、英語が通じる人がほとんどいないなど、何か行動を起こすたびに思った以上に時間がかかる。そんな少しの時間が積もり積もると二泊三日という時間はほんのわずかに感じられた。 到着日と最終日を除けば、中一日しかない。その一日を使い、サリーナデス・グランデスへ行き、チリ行きの国際線バスを探さなければいけないとなると、いくらこの小さな町とはいえ、昨日までの不安を思い出すと心配せずにはいられなかった。
こんな時は、考えるよりも行動を起こした方がいい。
当たり前の話だが時間が限られていると、余計にそう思わずにはいられない。朝ごはんを食べ終わるとすぐに町の中心部へ向かった。中心部なんて言ってもだいたいどこも五分くらいて行けるような場所である。カメラや三脚など、必要なものを持ち出かけた。
だいたい賑わっている場所を一周してみたが、サリーナス・グランデスへ行きそうなバスも国際線バスチケットが売られているようなお店も見当たらない。そもそも、チリ行きのバスがあるかどうかを調べたが日本ではわからなかったので、手がかりがない。あるブログでチリからプルママルカへ移動したというような内容を見たので、おそらくその逆も大丈夫だろうと高を括っていたが、前日から予想外のことばかり起こっていたので、少し怖くなった。
一度宿に戻っておばあさんに聞いてみたが、おばあさんはコレクティーボという単語しか話さない。ここで英語が通じないことは散々実感していたので、紙にスペイン語と英語を両方書き、伝えるということをしてみたが、それでもコレクティーボしか言われなかったので困惑してしまった。コレクティーボはおそらく小さなバスのことだろう。これもチリ行きなのか、それともサリーナス・グランデスのことなのか結局わからずじまいだった。町に出てもスペイン語しかわからないだろうと思うとだんだん不安とめんどくささが入り混じった感情になった。
日本もほとんどの人が日本語しか話せないと思う。最近ではインフォメーションや電車の案内所など英語を話せる人が多くなってきたが、それでもまだまだ進んでいないと思う。きっと外国から来た方は同じ気持ちなんだろうと想像したが、ここプルママルカでは看板も何もないので、余計に困惑した。
なんとなく、力が抜けたというよりも半分諦めの気持ちに達した頃、店の角に腰掛けている男性たちが目に入った。ぱっと話しかけれそうな人は他にはいなかったので、試しに用意していた紙を見せると、“サリーナス・グランデスへはこのコレクティーボで行くよ。”と目の前の小さなバスを指差した。
なんとも予想外の、けれどかなり救われた展開になり、なんともあっけない瞬間だった。参加者がこの時点で私だけだったので、参加者があと3人集まってから出発することになった。
ついでにチリ行きのバス、サンペドロ・デ・アタカマへ行きたいと告げると、ちょっと待っててというような素振りを見せケータイでどこかへ電話しだした。
不安に思っていると、電話を切った彼はすでにアポを取ってくれており、なんとチリ行きのバスチケットが売っているお店も教えてくれた。お店までの地図を書き、大丈夫だよ!と、言葉はわからないのだが
おそらくそんな声をかけてくれた。親切な男性のおかげでサリーナスグランデスへ行く手立ても見つかり、無事にバスチケットも買えるだろうと安心しきっていたが、ここからがまた大変な時間の始まりだった。